― 勝道上人の背中、金色の三尊、そして江戸の免震技術 ―

🌿 一人の僧の信念が、日光を作った
憾満ヶ淵から大谷川沿いを歩き、神橋を渡って向かったのが輪王寺だ。


その手前に、静かに立つ銅像がある。勝道上人。
天平神護2年(766年)、男体山登頂を志してこの地に踏み入り、日光山を開いた僧だ。現在の東照宮・輪王寺・二荒山神社、いわゆる「二社一寺」の礎を築いた人物である。
岩の上に毅然と立つその姿は、大谷川の激流を神の力で渡り、男体山初登頂を成し遂げた達成感を体現しているかのようだ。像の前には龍の水鉢があり、その流麗な造形も見応えがある。
せっかくなので、後ろにまわってパシャリ📸。「男の価値は背中に宿る」と自作の言葉があるが、細部まで作り込まれた背中に、思わずほれぼれした。
弁護士として日々、「人の言動が歴史を作る」という現場に立ち会うことがある。この像の前で感じたのは、その究極の形だ。
一人の人間の信念が、1200年以上続く歴史を動かしたという事実の重みを、静かに受け止めた。
🌿 輪王寺三仏堂――400円では安すぎる、金色の世界

勝道上人の銅像をこえてすぐに現れるのが、輪王寺の本堂・三仏堂だ。
奈良時代に勝道上人が開いた天台宗の門跡寺院で、東照宮・二荒山神社とともに世界遺産「日光の社寺」の中核をなす。


本堂はとても立派で、正面から見るだけでも写真映えする。案内板に撮影禁止のマークがなかったため、「もしや内部も撮影可能では」と期待して拝観券の販売員の方に聞いてみると、申し訳なさそうに「写真撮影はできないんですよ」との回答。「それはそうですよね」と、すぐに納得した。
ただ、ここまで来て本堂に入らないという選択肢はあり得ない。
内部に鎮座する金色に輝く千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音の三尊は、まさに圧巻の一言だ。拝観料400円でこの体験ができるのは、正直安すぎると思う。撮影は涙をのんで諦め、その代わり目にしっかりと焼き付けた。
神仏分離令という歴史の荒波を経ながらも、木戸孝允の尽力によって取り壊しを免れたという背景を知ると、この建物が今ここに存在することの重みがさらに増す。明治の激動の中で、誰かが守ろうとしたから、今がある。


香炉越しに見る本堂も絵になるが、背後からもまた良し。どの角度から見ても素晴らしいお堂だ。
🌿 相輪橖――宇宙観を「塔」にした、珍しい建造物

本堂の背後に立つのが相輪橖(そうりんとう)だ。
慈眼大師天海が寛永20年(1643年)に建立した銅製の塔で、高さ約16m。重要文化財に指定されており、内部には一切経が納められているという。
五重塔や三重塔とは形状がまるで異なる。仏教の宇宙観を象徴する「相輪」だけを塔として独立させた、実に珍しい建造物だ。2022年4月に改修されたとのことで、燈篭を含めてかなり目を惹く仕上がりになっている。



本堂の「内部が撮れない分」をここで取り返すように、角度を変えながら撮影した。
🌿 五重塔――江戸の職人が知っていた、免震の答え

輪王寺をあとにし、東照宮の表参道へ向かうと、その入口付近に五重塔がそびえ立っている。
正保2年(1645年)に若狭の国主・酒井忠勝によって寄進されたが、文化14年(1817年)の火災で焼失。現在の塔は文政元年(1818年)に酒井家によって再建されたものだ。高さ約36m。
この塔で特筆すべきは、その免震構造だ。心柱が宙吊りになっており、地震の揺れを吸収する仕組みになっている。東京スカイツリーにも応用されたこの技術が、江戸時代の建築にすでに組み込まれていたという事実に、日本の技術力の深さを感じずにはいられない。
この日はあいにくの曇り空だったが、それでも朱と金の鮮やかな装飾は見事で、東照宮散策の幕開けにふさわしい存在感を放っていた。
🌿 おわりに
勝道上人が拓き、天海が守り、木戸孝允が救った。
輪王寺を中心とするこのエリアは、一人一人の「信念の連鎖」によって今日まで受け継がれてきた場所だ。世界遺産という肩書きの向こうに、そういう人間たちの物語が重なっている。
観光地として訪れるだけではもったいない。歴史の文脈を知ってから歩くと、一枚の写真の重みがまるで変わってくる。
東京・神田で弁護士法人を経営する傍ら、日々の仕事で得る「理」とは対極にある「情」と「美」を求めてブログを立ち上げました。
このブログでは、法律という記録の仕事から離れた、一人の男の"余談"と"趣味の覚書"(食、旅、写真)を綴ります。

