
― 旧古河庭園から、駒込へ ―
旧古河庭園で春薔薇を撮り終えた日の午後。
本郷通りをそのまま南へ歩き、六義園へ向かった。妙義坂の地蔵尊に手を合わせ、気づけば駒込駅の近くまで来ていた。正門前に立つと、入園料300円という表示が目に入る。この密度でこの価格は、毎回、東京都の良心だと思う。
📜 元禄の知的プロジェクト
六義園は、元禄15年(1702年)に柳沢吉保が7年かけて完成させた回遊式築山泉水庭園だ。
万葉集・古今和歌集から88の名所を庭内に再現するという構想は、単なる造園ではなく「和歌の世界を歩く」という知的プロジェクトと呼ぶべきものだ。
正門をくぐると、すぐに空気が変わる。駒込の住宅街の喧騒が消え、砂利を踏む音だけが耳に届く。計算し尽くされた景観が、ゆっくりと広がっていく。
🏞️ 心字池を中心に
回遊路の主役は、大きな心字池だ。「心」の字を象った池の輪郭に沿って歩くと、見る角度ごとに景色が変わる。これが回遊式庭園の本質で、同じ場所に立っていても「歩いてきた方向」によって全く別の絵になる。

池の中央に浮かぶ中の島(妹山・背山)は、和歌の「妹」と「背」——男女の情——を二つの築山で表現した意匠だ。松の枝ぶり、石の据え方、山の曲線がどこを切り取っても安定した構図をつくる。秋のライトアップ時に水面に映る紅葉とのシルエットは六義園で最もドラマチックな瞬間と聞いているが、それは次回の宿題だ。

池の南西側には蓬莱島。
「不老不死の仙人が住む島」という神仙思想を主題としたアーチ形の石組みの島で、対岸から眺めると島全体がひとつの彫刻のように完結している。
ひとつひとつの石の据え方を追うと、作庭家の思想の深さに素直に圧倒される。
庭を「読む」という行為の意味が、ここで初めてわかる気がする。
🌉 小橋ふたつ、知っている人だけが足を止める
回遊路を歩いていると、案内板のない場所にひっそりと橋がある。

渡月橋は、88境の37番。名は「くまもなく月の渡るを眺むれば」という和歌に由来する。2枚の大石だけで構成されたシンプルな石橋で、京都の渡月橋とは全く別物——無駄を排した江戸の石組みの粋がここにある。

山陰橋は、88境の85番。木々に覆われた静かなエリアにひっそりと架かる、主要ルートから少し外れた小橋だ。多くの観光客が素通りしていく——知っている人だけが足を止める。明暗差を活かした撮影が楽しく、六義園が持つ「奥行き」を最も感じさせるピースだと思っている。
🍵 吹上茶屋で休憩




散策に疲れた頃、ちょうど良い場所にあるのが吹上茶屋。
心字池を眺める絶好のポジションに位置する。
縁台に腰を下ろし、和菓子と抹茶を手に水面を眺めるひとときは、弁護士業で詰め込んだ頭をリセットするのに最も効く場所だ。
外国の観光客が、着物美人に、ビューティフルと声をかけているのも微笑ましい。
🌸 季節ごとに表情が変わる庭
六義園の印象的な特徴のひとつは、季節によって主役が変わることだ。




個人的に、5月はつつじ茶屋が主役を張っていると思う。
明治時代にツツジの古木を用いて建てられた茶屋と新緑。そして、剡渓流の水の流れが、幻想的な美しさを象る。




6月になれば、今度はアジサイが静かに主役に立つ。訪問時は、まだ紫陽花の時期ではなかったが、ミニ紫陽花が一部咲いており、美しさの片鱗を見せていた。



そして尋芳径——88境の50番「芳しいものを尋ねる小径」。秋の紅葉の時期も良いが、新緑の季節も良かった。
🏛️ 300年の設計が、今も機能している
六義園が優れているのは、景観が「今も機能している」ことだ。柳沢吉保が設計した動線の通りに歩くと、次に見えてくる景色への期待が自然と高まる。回遊路のカーブの深さ、木々の高さ、水面との距離——すべてに意図がある。









入園料300円。この密度でこの価格は、東京都の庭園の中でも特に良心的だ。
春の薔薇が目的で旧古河庭園を訪れたなら、帰り道に六義園へ立ち寄ることを強くおすすめしたい。同じ日に、まったく異なる二つの「美」を体験できる散策コースが、本郷通り沿いにある。
東京・神田で弁護士法人を経営する傍ら、日々の仕事で得る「理」とは対極にある「情」と「美」を求めてブログを立ち上げました。
このブログでは、法律という記録の仕事から離れた、一人の男の"余談"と"趣味の覚書"(食、旅、写真)を綴ります。


